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2009.10.23 (Fri)

舞台を創る人、踊る人。

ここを読んでいる99%の人は後者。僕もそう。
プロフェッショナルワークだからという肩書きの元、
何かの名前を借りている人は全て後者。

昨日は最高の踊り子、今日は舞台を作り続ける人にあって両者からご馳走になり、
将来を考えていた。

論理づけてnarrativeにかけないので、
箇条書きから理解してください。職業病の構造化もしません。


・舞台を創る人が舞台を創り、そこで踊り子が踊りそこで社会への価値が創出されている。

・世間で言う優秀だと言われている人間はうまくどこかの舞台で踊れる、踊り子のこと。

・優秀と言われ育った人間は、幼少期からどのようにすればうまく踊れるかが感覚的に分かるために、うまく踊る方法を実につけ、それだけを思考するようになる。ある種の思考停止。

・大抵の踊り子は社会に対して無責任。舞台のせいにする。

・踊り子は、舞台の中でうまく踊る方法を身に着けることに執着する。

・舞台は、形も大きさも異なり、そこに合うか合わないかで踊り子のパフォーマンスが決まる。そのため踊り子は自分が合わせやすい舞台探しをする。

・踊り子は、舞台でうまく踊れない場合、もしくは踊りたくない場合には、他の舞台に移るための踊り方を学ぶ。通行手形としてのMBA(只、この通行手形は通行のみで踊りに直結していない)。

・踊り子は舞台があることでその中でどのように踊ればうまく踊れるかだけを考えるようになる。その一方で舞台を創る人は舞台がないので、どこまでも考え、動き続け、社会的な舞台をも考慮せず舞台を考え創り続ける

・舞台を創る人と創らない人というのは、自己目的化したWhatを持ちそれを信じ形にしようとしている人と、それを見つけていないかもしくは見つけていても形にしようとしていないかの差

・舞台を創る人は自身の定規を持つ。大抵の人は自身の定規がなく、誰かが言った定規を持ちそれで自身や周囲を図る。

・舞台を創る人は、周りの定規に左右されない。左右されてないほどその舞台は強固。周りの定規のことを考えている時間よりも、自身の舞台を強固により大きく創ることにのみ注力しているから。

・大抵の舞台創りは失敗する。その舞台が社会と繋がってないことが大半だから。

・舞台が社会に認知され、受け入れられることで富を生む。受け入れられればられるほど大きな富と踊り子を集める。良い歌と踊りを磨いてきたプロの踊り子を。

・世間にはアマチュアの踊り子が90%以上を占めている。別にそれは悪いことでもなんでもない。
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02:11  |  23.雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2009.10.20 (Tue)

生きるために何かする。

「xxするために生きるのか」「生きるためにxxするのか」
という話がままある。

僕は世間に申し訳なくなるくらい恵まれて育ってしまったので(それは言いすぎか?)、
職務においては、「xxするために生きる」という論理が大前提で話してしまう。

仕事だってそう、政治活動だってそう、NPO運営だってそう。
人間関係だってもしかしたら僕は甘ちゃんだからそうなのかもしれない。

只、それは本当に恵まれた極一部の人だけが言えるお話。

いつ何時どうなるかわからないのだけど、
「生きるためにxxする」という話になったときには、
理想主義大前提でつい「xxするために生きる」ということが正だなんて言ってしまう。
そいつはあまりにも横暴。

最近そんな自分の横暴さを恥じなければいけない体験をした。
成長だか金だが社会を創るだかしらないが、
熱くて青いことだけ言ってて良いような環境においてくれた親やら知人友人らに感謝しないとなぁ。
恵まれているのだ。

四捨五入すれば30歳なのになんともかんとも。
02:29  |  23.雑記  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2009.10.10 (Sat)

10年。

そう簡単に想像なんて出来やしないよなぁ。
10年後とかなぁ。想像しろだなんてこくだなぁ。

だから10個上くらいの僕が勝手に敬愛する方を思い浮かべてみる。


一人がお世話になった市議。
最近元気がなく悲しい人材広告の会社で営業、今の僕くらいの年で市議。そのまま三期目。
よく似てるといわれる。人間くさく、不器用。そこが好き。
プレゼンが最高にうまい。

最近改めてお会いしたら突き抜けた感じがした。
最近、突き抜けたらしい。
目の前に絶望するのではなく、ありものでどうにかする、楽しむという志向になり、
スッと楽になったとのこと。



一人が僕の身内。
米国大学、米国の怪しい商社(魚を扱っていたらしい)、米国Topスクール、米系投資銀行。
最近ご結婚もされた。遠距離婚。いい兄貴という感じ。

語学ということのハードルを越えるだけでそこに広がる世界をいつも見せてくれる。
生き生きと仕事をされている。実際、うちの会社ほどではないがハードワークだが。
将来の話、聞きたいなぁ。



一人が最近知り合った某氏。
大手通信会社、米国Topスクール、戦略コンサル。
めっちゃいいパパ。今度釣りに一緒に行く予定。
一緒に二人で朝まで働きまくりラーメンとカレーを食いまくった。

実業をグルグルやりたいのだろうなぁ。
話していると伝わってきた。




そんな彼らは、今の彼らにいきつくまでにどうしたんだろう。
伝わってきたのは、今の僕から5年後くらいまでは紆余曲折して苦悩しまくっていた、
なんてこと。そりゃそうだろうなぁ。

Planned happenstanceなんだろうけど、そこには仮説がちゃーんとあったのだろうなぁ。
Planned happenstanceだからきのむくまま、
なんて豪語している人がどうも最近多いような気もする。
それは只の思考停止だと分かるべきだろう。

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最近、お世話になっている人生のメンターにお会いした。
自分の近況報告とその方の近況報告を頂く。

キャリア選択なんだではなく、自身のWhatが何かを考え抜くこと。
インドのヴェーダンタ学派の教えに近いそうな。

Whatを持つことで、自身が楽になり、
Howを持つ人を引っ張ることが出来る。

Howの選択はゲームのようであり、またハクもつくので楽しいのだが、
それはどんどん自身から離れていく。

Whatは素直に自身のある感覚的なもの。
Whatは心に問うもの。
Whatは素直に食指が動くもの。

そんなことを素直に考える生活から遠のいていたせいなのか、
自身の心の問題なのか、なんとなくのWhatのようなものが浮かんでは消えていくのだが、
Whatなんだかどうなのかよくわからない。

そんなこんなでこんな時間にうにゃうにゃしているのだ。
01:46  |  12.仕事のこころ  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑
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